法政委員コラム

子どもの卒業式にて

㈱読売新聞東京本社
ビジネス局 広告審査部長
梅木 達也

私事ですが、先日、子どもの小学校の卒業式に出席しました。児童の入場に始まり、式次第に沿って定番のプログラムが進んでいきます。「ついこの間入学したばかりなのに・・・」と感慨にふけっていたところ、式のハイライトである卒業証書の授与に差し掛かりました。

児童一人ひとりが名前を呼ばれ登壇し、校長から卒業証書を受け取ります。ここまでは想定通りでしたが、証書を受け取ると子どもたちは壇上で同級生や保護者の方を振り返り「私は、困難な時に他人から頼りにされるリーダーになります!」といった、自らの描く将来像を力強く宣言するのです。具体的な職業を挙げている児童もいましたが、みなさんに共通していたのは「…になりたい」ではなく「…になります」と、夢に「決意」を込めて、よどみなく、堂々と表明していたことです。現代の小学校の卒業式ではよく見られる光景なのかもしれませんが、私にとっては驚きであり感心させられる場面でした。

その後の校長の式辞では、ダイバーシティーやインクルージョンの重要性について語られました。授業でもSDGsの17の目標や169のターゲットについて学んでいるそうです。もちろん、これらの取り組みは比較的近年になって重視されるようになった価値観ではありますが、私が子どもの頃には社会課題を体系立てて学ぶことはありませんでした。「誰ひとり取り残さない」という視点など持ち合わせようもなく、改めて世の中の変化を実感させられたこどもの卒業式でした。

式が終わって、二十年近く前の経験を思い出しました。当時、耳の不自由な方と仕事を一緒にする機会がありました。私はマーケティングPR誌の制作に携わっており、取材、執筆、編集を担当していました。その方にはチームの一員として編集補助業務や事務作業を担ってもらっていましたが、ある日、本人から上長である編集長に「自分もインタビューや執筆にトライしたい」という申し出があったと聞きました。結果として希望は叶わず、私もその結論について疑問に思うことはありませんでした。編集長にその理由を聞くことはなかったので、どのような事情があったかはわかりません。ただ、今であれば異なる選択肢があったのかもしれないし、少なくともその結果にまったく疑問を感じないということはないはずです。

米国でDEI施策が後退し、否定される動きなどを目の当たりにすると、「正しさ」とは何かと考えさせられてしまうことはあります。しかし、子どもたちは社会の課題をしっかりとらえ、自らの意見をきちんと持つ大人になる準備を進めているように思えます。今回、彼らの学校での様子や態度に触れて、その成長を心強く感じ、希望と安心感を覚えた卒業式の一日となりました。

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