TAAサロン あの人にきく

田中 巌夫 さん
デジタル時代に改めてリアルの大切さを実感
第一三共ヘルスケア株式会社
ブランド推進本部 広告宣伝グループ長
公益社団法人 東京広告協会 総務委員

田中 巌夫 さん
プロフィール 1977年、東京都生まれ。2000年4月、三共株式会社(現・第一三共ヘルスケア株式会社)入社後、新潟県にて営業担当。2004年10月、ヘルスケア製品戦略部マーケティンググループ ビタミン剤「ビトン-ハイ」ブランドマネジャーに。以降、一貫してマーケティング部門に所属し、2020年4月より現職。小学校から高校まではボーイスカウト活動をしていた。

就活中にマーケティングの仕事の面白さに開眼

……ご入社が2000年というと、いわゆる就職氷河期と呼ばれた時代ですね。

2000年の“新卒”は、求人倍率が1を切り、氷河期の中でも「超氷河期」と呼ばれた時代でした。私自身どうしてもこの業界に入りたい、という目標をなかなか見つけることができずにいた中で、ある外資系消費財メーカーの試験でマーケティングのケーススタディを体験したのです。その時に、「あ、マーケティングの仕事って面白そうだ」と感じて、そこから自分の中で商品企画や市場調査などマーケティングに関する方向性で就職活動したい、という強い軸ができました。それで、当時の三共株式会社を受けることにしました。私が中学生の頃にドリンク剤「リゲイン」のCMソング「勇気のしるし」が一世を風靡したり、風邪薬の「ルル」のサウンドロゴが有名であったりして、とても親近感がありました。

入社後、最初の4年半は新潟県でドラッグストアの営業を担当しました。ただ、最初からマーケティング部門希望であることはアピールしていて、社内でマーケティングのプランコンテストがあると積極的に参加して、評価を受けたりしたこともありました。その結果かどうかはわかりませんが、2004年にマーケティング部の配属となり、ブランドマネジャーになりました。その後、会社は2007年に4社が統合した現在の第一三共ヘルスケアとなり、私自身はマーケティング部門でリサーチ担当、訪日インバウンドのプロモーション担当、コンビニ向けの商品企画担当などを経験し、2017年にマーケティング部内の広告宣伝部門に異動となりました。

……ご希望通り、これまでマーケティングの仕事を10年以上、担当されてきたわけですね。

中でも印象深い仕事が二つあります。一つは、ブランドマネジャー時代に通販ビジネスを立ち上げたことです。私の担当は医薬品のビタミン剤ブランドで、当時はメーカー直販の単品通販がもてはやされていた時期でした。そこで、医薬品の効き目感を活かしたサブブランドでサプリメントの通販をやったらチャンスがあると考えて自ら提案しました。当時の自分はやる気満々で(笑)、展示会にマメに足を運んでひたすら名刺を配り、原料メーカーやOEMメーカーの方と情報交換をさせていただいて、処方を組んで、ということで製品化に漕ぎつけました。残念ながら、結果としては、あっけなく1年ほどで終売になってしまいました。

ですが、その一連の仕事で自分が得たものは、とても大きかったのです。私どものビジネスは基本的にはドラッグストアなどを介してお客さまに商品を購入いただいているので、商品を使うお客さまとは少し距離があるのですが、通販ビジネスを通して、ダイレクトにお客さまと向き合うことを生々しく実感することができました。今はブランディング中心の広告を主に手掛けていますが、一つ一つの売上、お客さまに対してきちんと向き合わなければいけないという意識は、この時の経験が基礎になっています。また、今思うと相当粗っぽいプランニングだったにもかかわらず、よく経営陣が承認してくれたなと……その挑戦をさせてもらったことに、とても感謝しています。

もう一つ印象深いのが、訪日インバウンドのプロモーションです。2015年・2016年頃のことで、主に中国、台湾の方々に向けたものでした。最初は、彼らが日本に観光に行くために見る旅行雑誌に出稿していましたが、そういうことより口コミが大事だということに、気づきまして。今でいうインフルエンサー・マーケティングのようなもので、現地のインフルエンサーの方々に商品を紹介して取り上げていただきました。

日本のスキンケアやオーラルケアの商品はとても人気があるのですが、ブランドの背景にあるストーリーまでしっかりとお伝えすると、インフルエンサーご自身がファンになってくださって、より上手に説明してくださるので反響もとても大きくなる、ということがありました。これも基本的なことですが、広告案件としてやっていただくよりも、ファンになってもらい、その商品のことを深く理解していただくということが一番大切であることを、改めてかみしめることになりました。インフルエンサーの方々は一生懸命に対応してくださいます。ただ、時に文化の違いによる価値観の違いもあったりするので、一体どんな風に伝えてくださるのかヒヤヒヤ……、という場面もあって、刺激の多い仕事でした。環境や人が違えば、それだけさまざまな視点があるということを再認識したのも、とても良い勉強になりました。

今こそリアルな触れ合いを大切にしていきたい

……コロナ禍を経て、広告や販売において、変化を感じることなどありますか?

この3年間で、ウェルネス・健康というテーマに対して、世の中の皆さまの意識が高まってきたのではないかと思っています。そこで私たちは「病気になった時に買ってください」というのではなくて、「お薬を常備して備えておきましょう」という提案をこの1、2年で強く行っています。『家族をつなぐくすり箱プロジェクト』として、今年の敬老の日(9月18日)にもかぜ薬ブランドの「ルル」から「遠く離れた家族の健康を気遣い、くすり箱を届けに会いにいこう」というリリースを出しました。お薬を常備しておくことの価値について“モノそのもの”というよりも“コト”として提案しています。

また、世の中がウィズ・コロナ、アフター・コロナへと向かう中、いわゆる外でのリアルイベントができるようになってきたので、 “ブランドの体験の場”を強く意識するようになっています。たとえば前述の「くすり箱」についても、昨年からショッピングモールで“親子でくすり箱を作りましょう”という体験イベントを行っています。弊社では「ミノン」(敏感肌向けスキンケア)が今年で50周年を迎えるのですが、こちらについてもブランド体験の場づくりをもっと積極的にやっていこうということで、ブランドに接する時の質を高めることの意義をメンバーと日々、議論しているところです。やはりコロナ禍を経て“リアルな触れ合いの大切さ”、つまりお客様の顔が直接見えることの大切さを、改めて感じているところです。それでいくと、広告に加えてサンプリングやキャンペーンなどの施策にも重点を置いていこうと考えています。

……この春、マーケティング部に代わり、ブランド推進本部を創設されたのですね。

4社の統合で第一三共ヘルスケアが設立されて約15年が経ち、おかげさまで医薬品のブランド以外にも、スキンケアでは「ミノン」や「トランシーノ」、オーラルケアでは「クリーンデンタル」という歯周病予防歯磨きブランドなどの構成比が高まってきています。そこを明確に分けて、それぞれのカテゴリー特性に合わせた対応をしていくという目的でブランド推進本部が創られました。ブランド推進本部の下にOTC(市販薬)の組織と、H&B(ヘルスアンドビューティー)、つまりスキンケアやオーラルケアを担当する組織ができました。

私ども広告宣伝グループは、それらを横串で見る形になっていて、それぞれのブランドのお客様を主語にして、統合的にプランニングを行い、カテゴリーに合わせて広告ソリューションの提案を高度にしていくことが求められています。医薬品と医薬品以外とではかなりマーケティングが変わってきているので、それぞれ最適化していくということです。

……ますますお忙しくなりそうですが、リフレッシュ方法やオフの日に打ち込んでいることなど、ありますか?

趣味といえるのかわかりませんが、サッカー観戦が大好きで、土曜日の夜から月曜日の早朝にかけて、海外サッカーの中継が行われるので、それをリアルタイムもしくはハイライトで観る、というのが一番のリフレッシュになっています。特にイングランドのプレミアリーグが好きですね。女子サッカー日本代表のとある方と小学校が一緒だったという縁もあるのですが、多感な時期にドーハの悲劇があり、日本が初めてワールドカップに出場したフランス大会(1998年)があり、その翌年、ちょうど就職活動の時にはフィリップ・トルシエ監督で同年代のワールドユースがナイジェリア大会で準優勝、という具合に、節目節目でサッカーとは細く長く、一方的ですが(笑)、楽しませてもらっています。最近は、サッカー以外でも日本人スポーツ選手が海外で大活躍する時代になったので、すごく励まされています。

(インタビュー・文 牧野容子)

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